2011年にシリア戦争が始まってから、7年以上が経過しました。
当時児童期にあった子ども達は青年期になり、戦場から逃れ避難民として生きる子どもの多くが、幼児期に戦争を体験しています。避難先で生まれたため、シリアを知らない子ども達も多くいます。
私たちがトルコで運営しているシリア難民の子ども達のためのテント教室では、学習だけでなく、おもちゃを配布したり、スポーツや合唱、演劇、描画などのレクリエーション活動も行なっています。
地平線や山々がみえるほどの畑に囲まれた農村地域で、子ども達も教室外では家族の農作業を手伝ったり、きょうだいの世話や家事をしながら過ごしています。シリア人家族が生活するテントや手造りの家屋は、広大な畑にぽつんぽつんと点在しているため、テント教室に通う以前は、同じ村に住んでいても関わりがなかった子ども達も少なくありません。
また、シリア人家族は自分の土地を所有せず、トルコ人地主の元で雇われながら農作業に当たるため、農作物や仕事の有無に合わせて移住を繰り返す季節労働に頼る家族がほとんどです。
彼らの生活のなかでは、たくさんの子ども達と一緒に遊ぶという経験も、日常的とは言えません。
家族とともに、“いま”の避難生活に適応し日々を送っている子ども達ですが、彼ら/彼女らの心の中には刻まれた故郷や戦争の記憶があります。
レクリエーション活動を通じて表現された彼らの記憶やイメージを、ご紹介します。
文章とともに男の子が表現した絵。
上:「人が戦争から逃れて海を渡る」
下:「家が砲弾を受ける」
シリア人家族の多くが、違法に海を渡りトルコからギリシャへ難民として逃れようとしました。難民受入数最大のトルコですが、難民として生計を立てることは困難であり、生活に困窮しギリシャ、ヨーロッパでの生活を求めた家族が命がけで海を渡りました。
上の男の子同様、家が爆破される様子が描かれています。家のなかには人が横たわっており、流血しているようです。
戦闘機から砲弾が落とされている様子。家ではなく国内避難先のテントが爆破されようとしています。
庭があり心地好さそうな屋外でも、常に危険に晒されている感覚が伝わってきます。
6歳の女の子が描いたのは、親子が兵士の尋問を受けようとしている様子です。シリア国内はシリア政府軍や反政府グループのほか、複数の武装グループがその時々の占領地をコントロールしています。自分が住んでいた土地から避難するにも、複数の武装グループの尋問を通過しなければならず、「逃げようとしている」という疑いがかけられればその場で射殺されます。もちろん、他国へ逃れる際も、不法侵入を防ぐため相手国の兵士が監視しています。
絵の中央のぐるぐる巻きは、占領地や国境の針付き鉄線です。
トルコの旗が立っている、トルコでのテントの様子が描かれています。空には戦闘機でなく太陽や雲が見えますが、人々や生活の様子は見えず、閉ざされた感じがあります。
中央下に描かれた人の左側には、トルコの国旗が建てられた難民キャンプのような集合住宅が見えます。国境を超えたシリア人の多くは、親戚や知り合いのつてを辿って居住先を決めるか、まずは難民キャンプに入ります。しかしキャンプでは仕事もできず閉ざされた空間であるため、ほとんどの家族がキャンプ外へ居住先を探します。
中央上には「校庭(スペルは間違っていますが)」と書かれた看板があり、子ども達にとっての“学校”であるテント教室のイメージが表現されています。
折り紙で自由に作品を作ってもらうと、自己流で考案した銃ができました。どの国の子ども達も、戦いごっこで銃のかっこよさに憧れることがありますが、シリア人の子ども達が見てきた銃には、様々なイメージがありそうです。
男の子が折り紙で作った銃と飛行機。“自由な”発想の中にも、子ども達に強いイメージを与えた戦争の記憶が垣間見られます。
テント教室では、子ども達の“楽しい”経験を増やしながらも、彼ら/彼女らのなかにある記憶を受け入れながら共有しています。シリア人の先生も、活動を実施しているシリア人の仲間も、みなそれぞれに戦争を体験し、いまも経験し、また生き抜こうとしています。
子どももおとなも、彼ら/彼女らの人生に刻まれ消えることのない強烈な体験や想いがあることを、日々感じます。それらの感情に直面することは苦しい時もありますが、無視せず、できるだけ共にあり続けたいと願いながら活動を続けていきます。